アマバルの自然誌 沖縄の田舎で暮らす
2018年 05月 27日
池澤夏樹「アマバルの自然誌 沖縄の田舎で暮らす」(2007年)光文社文庫(初出は光文社「BRIO」1999年〜、電子書籍が発売中)
肩肘張らない、まさに自然のままの自然誌。楽しく読んだ。
自然だからこそ、著者の博識さが分かる。物理や化学や地学について知っていることを、たとえ基礎知識であっても、それを正しく応用できれば、世界は広がる。
世界が広がれば自分の卑小さを思い出して、謙虚になるし、諦めがついて楽になる。
肩肘張らずにいきたい。
本書は沖縄の田舎という特徴はあるが、こういう自然観察自体は日本のどこにいても可能なはずだ。池澤夏樹のような多角的な分析をするのは難しいが。
そして、身の回りの自然観察は、実はとても貴重なことなのだと思う。
星野道夫はよく、自分が間に合わなかったと、失われた自然を惜しんでいた。
池澤夏樹も「残ったものも目前でどんどん減っていっているのではないかという危惧」を抱きつつ、「ぼく自身がいわば都会的なるものの先兵としてこの村に入ってきたのだとすれば、ぼくはまず自分を責めなければならない」と、矛盾を自覚し、あくまでも控えめに自然を記録している。
こういうところが、池澤夏樹を信じられるゆえんだと思う。こういう知性のある人を一つの道しるべにしていけるのは、ありがたい。
それから、本書を読んで、自分の持っている偏見を改めて感じた。
虫が嫌なのはどうしようもない部分もあるかもしれないが、正しい知識と必要な環境があれば、冷静に対応できるのかもしれない。その方が生きやすそうだし、楽しそうだから、できればそうしたいと思った。
一般的に嫌がられる虫や蛇の写真が、こんなに多数、アップで載っているエッセーも珍しいだろう。少し可笑しい。しかしこれこそ、正しく自然なのだ。
あれは本当にそんなに遠くで起こっていることだろうかとちょっと考えた。百キロ先では海面から千五百メートル以下の高さにあるものは地球の丸みに隠れて見えない。あの雷はたぶん三千メートル以上の高い積雲の中で光っていたのだろう。強い光が出て、途中に遮るものがなければ、それは何億キロ離れていようと、何億光年離れていようと見える。この宇宙的原理のおかげで、おもしろくて美しいものを見た。
~「遠い電光」より~
何をやっていても身体を使う快楽と集団で和気藹々と働く喜びがつきまとう。これが古代的な労働の形だとしたら、それは幸福な時代だっただろうと想像する。権力者が登場して労働を強制するまでは人はこんな風に生きていたのではないか。
~「草刈りの快楽」より~
by saint05no44
| 2018-05-27 22:00
| 読書日記