永田和宏「歌に私は泣くだらう〜妻・河野裕子 闘病の十年〜」(2015年)新潮文庫(単行本は2012年)


 歌と切り離せない人生。
 永田先生が、「現代秀歌」で、短歌はうったえたいことを歌うものだ、というようなことを書いていた。その意味が切実に分かった気がする。

 色眼鏡で見られないよう病気について隠したらどうかと、永田先生の言う理由はよく分かる。今でさえ癌に対する偏見が問題になるのだから。
 でも嘘をつきなくない、正直に歌いたいという河野裕子のまっすぐさ、強さに、憧れの気持ちを持った。(おおむね)隠し事をせず、歌にする。素晴らしい。
 とにかく何でも隠したがる自分をついかえりみてしまう。自信の無さと虚栄心が主原因であることは明らかである。天才歌人と比べてもしょうがないが、でも憧れる。

 著者の恩師の死についても一章設けられていて、私にはこの章が非常に印象的だった。
 歌人夫婦の若い頃の生活の様子、大変さと充実感とが垣間見られる。本書全体からすると、これまで長い時間を共に歩いてきたんだなという感慨と、闘病前から濃密な夫婦の愛情や絆が、感じ取れる。
 それに加えて、この有名な才能豊かな歌人夫婦も、苦労して頑張って生活と歌作りを続けてきたのだなという当たり前のことを思った。当たり前なのだけれど、あまりにも華麗な経歴なのでつい忘れてしまう。
 私にとっては、永田先生が以前より少し身近に感じられるようになった。


 永田先生の文章は、客観的な事実を書こうとしているように思える。それでいて同時に、自分の意見を明確にしている。これは容易ではないと、私は思う。
 もしかしたら、短歌という自己表現を続けることで、感覚や表現方法を研ぎ澄まされるという面があるのかもしれない。
 私自身は、様々な考え方の中で自分の意見を決めることが難しい。でも、既存の選択肢だけではなく、自分の思うところを素直に辿ることで、現時点の意見をなるべく決めるようにしたい。






 京都大学に移ってからの数年が、私にとってはもっとも仕事量の多い、充実した期間であったのかもしれない。高校生を対象にした塾の、物理の講師をして生活費を稼ぎ、いっぽうで、この頃から目に見えて多くなってきた歌や評論の注文をほとんど断らずに受けた。無給になってまで、研究生活を始めたのだから、もちろん仕事の手を抜くことはできない。研究室をその日のうちに出ることは、ほとんどなかったような気がする。…
 ~「茶を飲ませ別れ来しことわれを救える」より~
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# by saint05no44 | 2018-05-30 22:00 | 読書日記 | Comments(0)

読書量が減ったことへの危機感から始める読書日記。


by アガサ