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真実の10メートル手前

「真実の10メートル手前」米澤穂信著、東京創元社


 ベルーフシリーズと呼ばれていた大刀洗万智の短編シリーズ。
 雑誌掲載時は、ベルーフと呼ばれる理由がよく分からなかった。短編集となった本書を読むと、その理由がよく分かる。 まさに、職業についての考え方を問われるようなシリーズ。※1

 仕事をする上での倫理感や哲学は、自分自身の生き方によって決まる。法律や社会の常識や雇い主によって決まるのではない。
 自分の職業倫理について、厳しく自分と向き合いつつ他人に説明しないのは、センドーの個性だ。でも私でも、仕事に向き合う姿勢について考えることはあるし、その姿勢に関して他人を理解すること・理解されることの難しさを感じることもある。
 普遍的なテーマだと思う。

 あとがきに、センドーを謎めいた人物のままにしておくか検討を要したと書かれていた。等身大のセンドーは現代社会で働く魅力的な人物だ。著者の狙いは見事に当たったのではないか。※2

 このシリーズの原点かつ現時点での集大成が「王とサーカス」。でもシリーズは今後も書き続けてほしい!



 「真実の10メートル手前」
 ある意味では、何も始まっていない話。なのに胸を打つ。とにかく面白い。理屈で言えば、真実にたどり着こうと謎解きをするのがスリリングで、最大の謎にはあと10メートル届かなかったという構成も見事。でも理屈ではなく面白い。
 とにかく読み始めたら止まらない。※3

 「正義感」
 改題されていたが、内容はほぼ変わっていないと思う。10年近く前の作品なのに、現在でもタイムリーと言えるような内容。東京の生活環境も人間も変わっていないということか。目的があってのこととはいえ、衆人環視の中であの態度ができるセンドーはすごい。※4

 「恋累心中」※5
 ハウダニットの中にホワイダニットが隠されているといえるような、目の覚めるようなミステリー。センドーの仕事ぶりは、(想像だけれど)現場たたき上げの有能な刑事みたいだと思った。

 「名を刻む死」
 最も悲痛な話。と同時に、最もセンドーの優しさが伝わる話。どうしようもないことに苦しんだとき、自分を苛み続けるか、楽なストーリーにして受け入れるか。どちらをも拒む場合は、切り捨てる強さを持たなければならない。

 「ナイフを失われた思い出の中に」
 示唆に富んだ話。センドーとミハイロヴィチの会話が難しい。事実は加工して公表されなければならないというくだり、大事なことだと思うのだが、まだよく理解できない。
 私がこの話を好きなのは、語り手が短い時間でセンドーを信頼するに至る過程をたどる、という筋が好きだから。共通の悲しみを持っている二人が、それだけではない信頼を醸成している。
 この話を初めて読んだとき、「さよなら妖精」を自分の中のあるべき場所に置くことができた気がする。

 「綱渡りの成功例」
 表題作もあわせて新作は、やっぱり読みやすい。文章力というのはこうやって向上していけるのだなあと偉そうに思う。
 謎解きは、まず謎に気付かなければ始まらない。日常の謎といわれるミステリーは、まず謎に気付くワトスン役がいなければ始まらないと改めて思う。もっともこのシリーズにワトスンはいない。そしてこの話は謎に気付けば解くのは難しくない。こういうミステリーもあるのだ。何故謎になったのか(何故隠さなければならなかったのか)というホワイダニットと、大刀洗の職業上のアイデンティティーがぴったりと結びついている。※6
 ミステリーとしても職業小説としても、面白いと思う。







・・・むっつりと黙り込んだままの私に、大刀洗は続けて言った。
「ここでタクシーを拾います。もし、このままお帰りになるのでしたら……」
『私の妹があなたについて言ったことを、私は信じるべきでしたよ』
そう言って苦笑する。しかし私はそれを私の国の言葉で話したので、大刀洗は不思議そうな顔をするばかりだ。
~「真実の10メートル手前」『ナイフを失われた思い出の中に』より~
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※1 十年弱かけて発表されてきたシリーズなので、発表時に読んだときと今回とで、印象が違っていた。やはり自分も変化しているのだ。
 「さよなら妖精」を読んだときは、まず主人公に感情移入していたということもあり、最終章に至るまでセンドーが謎で不可解だった。その後ベルーフシリーズを読んだときは、作品世界の時間が経過していることへの寂しさや戸惑いが強く、センドーの人間臭さや葛藤にはあまり注意が向かなかった。 
※2 そういえば、センドーが守屋君と結婚・離婚していて、酒の席で他の男性に口説かれて断る場面があった、というのは記憶違いだろうか。この本でも離婚歴は匂わされているが。あれ、私の思い違いか改稿か、どっちだろう。
※3 「春季限定いちごタルト事件」の解説者も、とにかく読め、と書いていた。同感である。
※4 守屋君が大学の研究者になったイメージがあったのは、この辺りの短篇を読んだせいだと思うが、彼の職業については書かれていないな。それで、本棚から掲載誌を引っ張り出してみた。おお、だいぶ改稿されていた。主題に焦点を絞った、という印象。こういうことがあるから、掲載誌もとっておけばよかった、とよく思う。スペースさえあれば他の雑誌もとっておいたのだが。
※5 この話で、夜、口説かれてなかったかな、センドーさん…?気のせいか?(しつこい。)
※6 ホワイダニットに関連して、マスコミとそれに乗っかる罪なき大衆への違和感が、冷静に鋭く指摘されていて、心から共感する。でも自分もマスコミに乗っかっているときがあるから、他人事ではない。





by saint05no44 | 2016-02-03 23:00 | 読書日記

読書量が減ったことへの危機感から始める読書日記。


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